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使徒の働き16章16~33節
祝福の基③賛美の力(2025年10月19日)
賛美を愛する教会
「礼拝が終わると、自然に皆が小さなオルガンの周りに集まり、お昼が来るのも忘れて歌い続けたものでした。徐々にではありますが、1人ひとりがパートも覚え出し、いつの間にか小さな合唱ができるようになりました。」森上温先生が、記念誌に書いていた、ずっと昔のこの教会の思い出です。今も、礼拝後の会堂を覗けば、そこで聖歌隊が練習をしています。70年経ちましたから、ずいぶん光景は違います。会堂も変わりました。小さなオルガンもこんなに立派になっています。輪の中心にて指導しているのは温先生ではなく洵君です。そもそも、聖歌隊という名前も最初はついていなかった。発表の場もない、有志の集まりだったのです。
でも、変わらない事がある。声を合わせて賛美する喜びを、そこにいる人達は知っているという事です。
神の奇跡
皆さんの中には、歌を歌うのが苦手という方もいらっしゃるでしょう。人に聞かせるなんてとんでもない。私も、自分では大丈夫だと思っていたのですが、母教会のある姉妹から、「幹君は音程が不安定で、賛美なのに聞いてて不安になる」と言われた事があります。
ですが、今日の箇所25節「真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた。」囚人たちが聞き入っていたのは、単に2人の歌声がうまかったからじゃないと思うんです。たとえ、音程が外れてても、聞き入っていたはずです。こんな牢獄で、賛美が聞こえてくる、それ自体が驚くべきことだった。
彼ら全員がいた場所は、24節で「奥の牢」と呼ばれます。これは地下最も深くにあり、光の全く射さない暗闇の所でした。重い罪を犯した者が入れられるこの場所自体が1つの拷問であり、同じく24節にある彼らにつけられた足枷は、両足を大きく開かせて止めるものでした。そんな場所で聞こえてくる言葉は、うめき声や誰かを呪う言葉でしかありえなかった。
パウロ達にとっても、だから、もともと歌が好きだったから歌えたこれは賛美ではないんです。人の好みの問題とか、得意不得意の話に還元できるものではない。神をほめたたえられるはずがないような状況、絶望、そこで、人の口から賛美がこぼれた。これは神の奇跡なんです。
縛られた人を自由にする福音
なぜパウロ達はこんな目にあっているのでしょう。さかのぼって16節以降にいきさつが述べられています。滞在したピリピの町で、パウロ達がいつものようにユダヤ人の祈り場に伝道しに行こうとすると、占いの霊につかれた若い女奴隷が、パウロの後ろから彼について叫び続けます。それが何日も続いたために困り果てたパウロが、占いの霊をその女奴隷から追い出したのです。
しかし彼女が叫んでいた言葉は17節によれば「この人達は、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えています」。間違いではないんです。だから、この後のトラブルを思えば、どうしてパウロは放っておかなかったのだろうと思う。むしろ、町で評判の占い師であったでしょうから、その彼女までそう言っていると、パウロの宣教の後押しになったように感じるのです。
でも、パウロは、占いの霊につかれた人の助けを借りたくなかったのです。パウロの福音は、縛られた人を自由にする知らせだったから。パウロは、彼女を縛る悪霊を追い出します。
言われのない偏見でしばられる
けれど、それに激しく怒ったのは、彼女の占いを金儲けの道具にしていた主人たちです。
彼女の人生は人にも縛られていたのです。彼らは、パウロ達を、でっちあげの罪で貶めようと、町の人々の外国人に対する偏見を利用します。20節“そして、2人を長官たちの前に引き出して言った。「この者達はユダヤ人で、私達の町をかき乱し、ローマ人である私達が、受け入れることも行うことも許されていない風習を宣伝しております。”この主張を、町の人々は鵜吞みにし、22節「群衆も2人に反対して立ったので、長官たちは、彼らの衣をはぎ取ってむちで打つように命じた。そして何度もむちで打たせてから2人を牢に入れ、看守に厳重に見張るように命じた。」
パウロ達からすれば、全く言われのない事で、周りから憎まれ、むちで打たれたのです。
皆さんはそういう経験はないでしょうか。周りが、本当のあなたとは全然違う、彼らの思い込みのあなたに対して怒り、憎しみを向けてくる。ある日突然、教室の皆の態度が変わる。聞くと、自分についての悪い噂が広がっているんです。実際に起きた事が単純化され、話に尾ひれもついている。それは事実じゃないと言っても、自分の身近な人以外は信じてくれない。突然、そんな風に、自分の心に足枷がはめられ、学校に行くのが嫌になる。牢獄のような日々が始まる。周りは自分をそんな風に見ているんだ。
大人になっても同じです。むしろ大人の方が、一度出来上がった人への見方は変わらない。そして私達は人の痛みにますます鈍感になり、どれほど自分の偏見が相手を苦しめるか分からなくなる。でもそういうものです、人間は。全員に本当のあなたを分かってもらうなんて無理です。
そこから自由になりたい苦しみ
だから、辛いけれど、もはやそれは自分自身の問題なのです。人からされたことも、私が乗り越えていくしかない。そこにおいては、他の人生で出会う悲しみや苦しみと変わらない。
しかし、どうしたら、悲しみに自分の心が縛られている時、そこから脱出できるのでしょうか。もがいても、もがいても、心の足枷は取れない。いつまでも、心に光が差し込まない。
しかし、パウロ達は賛美したのです。いつ脱出できるかも分からない奥の牢の暗闇で。
賛美と新しく出会い直す
2人は祈りつつ賛美したとあります。祈っているとどちらからともなく、普段歌っていた賛美がこぼれてきた。賛美の歌詞は詩篇だったかもしれません。
賛美を歌っていて不思議なことがあります。歌詞の言葉が自分の言葉になっていく。口ずさむその言葉にはっとする。いつも当たり前のように歌っていた祈りの言葉と新しく出会っていく。
それが、普通の音楽との違いだと思うのです。メロディそのものに慰められるだけではない。そこにあるのは信仰の言葉です。その言葉が小さな光の粒として、私の手元に届く。その光の粒を歌いながら追いかけていく。すると、あの暗い石の壁の隙間から、光が差し込んでいるのに気づく。
私がまだ独身の頃、本当に辛かった出来事があった時。土曜日の夜、1人でいても気持ちがしずむので、ふらふらと郊外の暗い通りを歩いていました。ふと、1つのワーシップの曲が浮かびました。神の奇跡という、おそらくあまり有名じゃない曲です。「苦しみから歌が生まれる悲しみから愛が生まれる、それはイエスのみわざ、はかり知れぬ神の奇跡。痛みから優しさ生まれ、倒れる時憐れみ生まれ、それはイエスのみわざ、はかり知れる神の奇跡。」家への帰り道、それをずっと口ずさみながら帰りました。自分の今の経験も、そんな風に用いられる日が来るかもしれない。そんな神の奇跡があるかもしれない。だって、現に今こうして歌えているのだから。
賛美の中にいてくれる神
その歌詞には「私は君を離れず、君を捨てない」というへブル書の言葉がありました。それがその瞬間本当に真実だと思えたのです。そして、私の思い込みではありません。聖書の中に、主は賛美を住まいとしておられるというみことばがあるんです。なぜ人は、賛美で悲しみや苦しみから癒されていくのか。賛美で神様と出会うからです。
そしてパウロ達の賛美を生み出したのは彼らの信仰です。
黒人霊歌という讃美歌のジャンルがあります。奴隷貿易で連れて来られた黒人は、白人達によってキリスト教を教えられました。でもそれは、「奴隷は主人に従いなさい」という新約聖書の言葉をもって、白人達が黒人の人生を縛り付ける目的があったのです。日中の厳しい農場での労働を終えると、彼らは小屋で鎖に繋がれて眠りました。しかし、彼らは、純粋にイエス・キリストを自分の救い主として信じ、その苦しみの中で賛美を生み出していきました。そのところにおいて、彼らの魂に足枷をはめられる人間などいなかったのです。彼らの歌にはこんな歌詞があります。「誰も知らない私の悩み、でもイエス様だけは知っている。神に栄光あれ!」
共に賛美する人がいた
彼らは、同じ農園で働かされる仲間達と賛美を通して支え合っていきました。リーダーが1節を歌い、周りがそれに応答する、コール&レスポンスというスタイルが生まれます。
今日のこの箇所、パウロも1人で賛美したのではありません。パウロとシラスで歌ったのです。きっと、どちらかが歌い始めたのです。どちらからが歌おうかと言ったのです。
1人では賛美が出てこない時、皆となら歌えます。オルガンの周りに、今日も、共に歌う仲間がいてくれる。この礼拝の中に身を置けば、ここでなら、賛美できるのです。
先週1週間、皆さんの心を縛るどのような悲しみがあったとしても、ここでなら賛美できる。共に歌う賛美の歌詞があなたの祈りになり、あなたに神は賛美の中で出会ってくださる。そして癒されていくんです。奇跡でなくてなんでしょう。
本当の自由
だから、牢獄で賛美が生まれた事を思えばですよ、その後、26節で「すると突然、大きな地震が起こり、牢獄の土台が揺れ動き、たちまち扉が全部開いて、すべての囚人の鎖が外れてしまった。」そんな奇跡が起こっても不思議ではない。そして囚人達が逃げ出さずにパウロの傍に留まったのも理解できる。27節“目を覚ました看守は、牢の扉が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。パウロは大声で「自害してはいけない。私達はみなここにいる」と叫んだ。”
囚人たちは、分かってたんです。牢獄の外に出たって本当の自由はない。本当の自由がどこにあるか、彼らはパウロ達の賛美で気づいたのです。だから、留まった。
現に、牢屋のすぐ外には、縛られた人がいました、看守です。彼は、社会に縛られていました。囚人が脱走したら、責任を取り彼は死ななければならなかった。地震が起きたからという事情などお構いなしなんです。看守のように社会で罪を犯さずちゃんと生きていても、彼という存在はあまりにも軽い。彼の代わりなどいくらでもいる。でも、そんな組織に社会に縛り付けられた彼は、今死のうとしていた。
一生懸命生きてきたのに、擦り切れていく魂がある。誰からも事情を分かってもらえず、もう死ぬしかないという所まで追い詰められていく人がこの世界にはいる。でも、看守はは声を聞きます。「自害してはいけない。私達はみなここにいる!」
救われるためには何をしたら
29節“看守は明かりを求めてから、牢の中に駆け込み、震えながらパウロとシラスの前にひれ伏した。”驚くべきことに本当に囚人は誰一人逃げていませんでした。別人のように大人しくなった囚人達に囲まれるパウロ達を見て、看守は直観的に気づきます。この人達は、私の知らない魂の自由を知っている。だから、看守は、2人に救いについて問うてみたくなった。もしかしたら、この2人が救いを宣べ伝えているという事を知っていたのかもしれない。30節“そして2人を外に連れ出して、「先生方。救われるためには、何をしなければなりませんか」と言った。2人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」そして、彼と彼の家にいる者全員に、主のことばを語った。看守はその夜、時を移さず2人を引き取り、打ち傷を洗った。そして、彼とその家の者全員が、すぐにバプテスマを受けた。”
賛美から宣教へ
人が救われること、それこそ神の奇跡であります。でも、今日この物語を順を追って読んできたから、最初に何があったから、この看守と家族が救われたか、私達は知っている。パウロ達に賛美があった、そこから全部が始まっていったんです。賛美が、囚人達の心を変え、そこに留まらせた事で、看守は救われていった。
皆さん、このように「賛美から宣教へ」この物語は進んでいきました。蕨教会にとって、とても大切な事ではないかと思うのです。「賛美から宣教へ」
それは、賛美もまた、祝福の基、祝福を私達が他の人に届けるものだという事です。今年度の一般活動方針について3回学びました。祈ること、特に祈祷会。ドルカスのように、誰かに愛のわざを届けること、そして蕨教会は賛美なのだと、温先生という人を送った今年私達は改めて思っていきたい。
私は、賛美の専門家ではありません。しかし、今日解き明かされたみことばの、人物達が経験した賛美の力を体験している者です。この教会の賛美がますます力強くなっていくのは、1人1人が、人生の様々な時に賛美の力を経験することによるのです。こんな苦しみから歌が生まれてくる、このような時にも主を賛美できる、その時、私達の歌声はますます神を美しく深みを持って音色となって神様を証することになるのです。
聖歌隊には、そんな自由の歌を、11月この町の外に鳴り響かせていってほしい。私達も週ごとの賛美を心を込めて歌い続けていきたい。
キャンドルサービス、いつもアンケートで、心が洗われました。音楽に暖かい気持ちになりました。聞き入ってくれる多くのこの町の方がいる。そこから、信仰に、神様に引き寄せられていく人々が起こされていくのを私達信じたい。
不思議です。私達は、純粋に、神様に賛美を捧げているのに、それを聞く人に神様が伝わっていくというのですから。いつか、あなたの隣に誰かが座ることになるかもしれない。死と絶望にとらわれた人を、解き放つ希望を。あなたの賛美する姿が、そのように誰かを救うかもしれない。(終わり)